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活動報告

協会だより40号

  
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岡山県詩人協会2023年度総会
  事業案や会則改正承認

 岡山県詩人協会の2023年度総会は、県詩協大会の前半として行われ、新役員案をはじめ、新年度事業計画案、会則改正案などが承認されました。大会後半は「ポエトリー岡山2023」。

 総会には、全会員89人に対し、出席31人、委任状26人、計57人の参加があり、総会として成立していることを司会が報告。中尾一郎会長が「危険な暑さの中、大会を開くことができてうれしい。会員減に対して、皆さんに入会申込書を配り、規約改正の中には詩を書かなくてもファンである人を受け入れるよう、修正した個所があります。お知り合いに声掛けをお願いします」などと挨拶しました。

議長に玉上由美子氏を選出。2022年度事業の報告、同決算・監査報告が原案通り承認されました。決算は『岡山県詩集2023』の発行などにより、12万円余の単年度赤字となりました。役員改正では、壷阪輝代担当理事が会員による役員選挙の結果を報告し、6月開催の暫定理事会でまとめた新役員案を提示。原案通り承認されました。

新年度事業案のうち詩を楽しむ会では「おかやま文学フェスティバル」の一環としての開催を検討していること、規約改正では会員のすそ野を広げ、現状にそぐわない文言を修正する狙いがあることを説明し、可決されました。

 最後に退任理事、新任理事らが挨拶し、上岡弓人新会長が就任の抱負を述べました。 
                                                      (柏原康弘)


■ポエトリー岡山2023
    「夢二」講演と朗読を楽しむ


 岡山県詩人協会主催の「ポエトリー岡山2023」が7月29日、岡山市北区の吉備路文学館で開催されました。1部では斎藤恵子さんが「竹久夢二の詩〜もつれてめぐる夢と詩(うた)」と題して講演。2部では出版したばかりの『岡山県詩集2023』参加者の詩と名詩の朗読が行われ、会員と一般の詩のファン計40人が、楽しい時間を過ごしました。

 ポエトリー岡山は、詩の愛好者の裾野を広げる試みで、昨年に続いて2回目。一般参加は5人でした。

 夢二(1884〜1934年)は今の瀬戸内市出身で大正ロマンを代表する画家、詩人の一人。斎藤さんは夢二の詩人としての側面にスポットを当て、哀愁に満ちた秀作の数々を紹介。その生涯については女性スキャンダル続きで、数々のわがまま勝手な振る舞いがあったことを話しました。

「夢二は寂しがり屋で独善的で自己愛が強く無類の女好き。だから今も多くの人を惹きつけるのではないだろうか」と指摘しました。

 県詩集の朗読では、参加会員8人が自作詩を披露。このうち、吉田博子さんの「母の日の贈り物」は、あきらめていた息子からの贈り物が届いたという内容で、素直な喜びが伝わってきました。それぞれ講評があり、会場からの質疑もありました。

 最後に、詩の朗読活動を行っている中川貴夫さんが「出会いそして別れ」と題して、谷川俊太郎の「しぬまえにおじいさんのいったこと」など一級の名詩8編を、音楽とともに朗読。会場から感嘆の声が上がりました。   

 県詩集参加者で朗読を行った他の7人は、次の皆さん。(敬称略)

 嘉数純栄、片山ふく子、中桐美和子、則武一女、森谷めぐみ、井上直美、岩アゆきひろ                                                               (柏原康弘)

■講演「竹久夢二の詩」要旨   斉藤恵子

   寂しがり屋で女好き

 竹久夢二の詩を読み、その生涯をたどった。本名は茂次郎だが「田舎臭い」と嫌い「夢二」と名乗り、大正ロマンを象徴する画家といわれている。大正ロマンとは、新時代への期待や憧れとともに不安と悲哀がロマンチックに表現されたもので、彼の詩も画もその華やぎとうら寂しさを感じさせる。

 明治17年、岡山の邑久郡本庄村に、造り酒屋の次男として生まれた。父は芸事に熱心で旅芸人に入れあげたこともあり、夢二が神戸中学在学中に破産。その後、上京し早稲田実業を卒業したころ、友人の影響で社会主義を知り「平民新聞」にコマ絵を描き、「中学世界」で入賞したのを機に画家となる。絵の形式で詩を画きたいと考えた。郷愁を誘われる絵を画いた。

金沢出身の岸たまきと結婚と離婚。3児の父となる。明治42年、初の画集『春の巻』は好評で第7画集まで出し、「夢二ブーム」が起き、莫大な収入を得るが、家族を顧みず女遊びに余念がない。

 女子美の笠井彦乃との恋愛と彦乃の死、モデルの佐々木かねよ(お葉さん)との長い同棲生活と破局。のちに徳田秋声の愛人になった山田順子(ゆきこ)をはじめ、数えきれないほどの女性関係があった。その放蕩ぶりは驚くよりほかはない。ただ絵や物書きの仕事は手を抜かず、それゆえスキャンダルが新聞に掲載されても、時代性もありさほど人気は衰えなかった。

 関東大震災後、「都新聞」に「東京災難画信」としてスケッチを載せ、「自警団はやめませう」と書いた。親交の社会主義者が殺されたことに因るからだろう。昭和6年渡米する。大恐慌の余波で展覧会は不評だった。翌年欧州各地を巡り、昭和8年帰国。台湾で展覧会開催。病を得、昭和9年1月信州富士見高原療養所に入院。9月、満50歳になる半月前死去した。好きなように一生を生きたと思う。
 哀愁に満ちた絵を画いた夢二は寂しがり屋で独善的で自己愛が強く無類の女好きだった。だから今も多くの人を惹きつけるのではないだろうか。度が過ぎるところがあったにしても。




「第8回詩を楽しむ会

    北原白秋の深く広い言葉の森に分け入る
   高祖保の感性にも触れ

「第8回詩を楽しむ会」を2月26日、岡山市北区南方のきらめきプラザで開きました。取り上げた詩人は、北原白秋と郷土関係の詩人では高祖保でした。タイトルは「白秋の黒き天鵞絨(ビロード)の匂い」。参加者は、理事を含めて昨年とほぼ同じ29人でした。

まず、高祖保の作品から「面」「路上偶成」「夜明け前」「雪」「てがるな拷サ季」など7編が、中川貴夫さんと下田チマリさんによって朗読されました。音響は野瀬秀隆さんが担当。詩人の生涯と作品の解説は斎藤恵子さんが行いました。

高祖保は1910(明治43)年、邑久郡牛窓町(現・瀬戸内市)に生まれ、父親死去したことにより母親とともに1919(大正8)年、滋賀県彦根町に転居します。爾来牛窓との直接的な関係は希薄になるものの、今も故郷牛窓の人々に敬愛されています。1933(昭和8)年に第1詩集『希臘十字』を出版したのを皮切りに、1945(昭和20)年にビルマ(現・ミャンマー)の野戦病院で戦病死するまでに4冊の詩集を出版しました。

「雪の詩人」とも言われる高祖保は、彦根の街に降り積もる雪に自身の死をも見てしまう豊かで細やかな感性によって知られていますが、また半面、日常生活の中で出会った出来事を題材にした軽妙で明るい詩もあるので、詩人の多面性、重層性を読み取ってもらいたい、との説明がありました。

北原白秋の作品の朗読は、「邪宗門秘曲」「曇日」「青き甕」「片恋」「白い月」「薔薇二曲」など10編の詩に加えて、童謡から「ペチカ」「砂山」「この道」、さらに12首の短歌が、中川さん、下田さんによって朗読されました。白秋の長く豊饒な詩業の中から、20代で世に問うた冊の詩集からの作品でした。詩のほかに童謡、短歌を加えることによって、日本語で表現される文芸の領域を広げていった白秋の全体像の一端が紹介できれば、との企図でもありました。

朗読は五七調の文語定型詩から文語自由詩、口語自由詩へと多彩な表現を試みる白秋の詩の深さと広さを気付かせてくれるものでした。

年譜の紹介を田邉亜実里さん、作品の補説を大塚が行いました。

1885(明治18)年、福岡県柳川に生まれ、1942(昭和17)年に他界するまでの57年の生涯を、詩、短歌、童謡、民謡などの創作、普及にささげた白秋の詳細な年譜を概観して、田邉さんから「白秋の生涯は文芸誌の創刊と廃刊、再びの創刊と廃刊、その繰り返しの中で作品を創造していったと言えるのではないか」と説明がありました。

作品の補説は、用いられている言葉の説明とその意図(「邪宗門秘曲」)、題材と作品の構成(「曇日」)、幼児期の体験の記憶と影響(「青き甕」)などについて行い、「青いとんぼ」の最終連との関連から、幼児の残虐性についての白秋の発言を紹介。第1詩集からわずか5年のうちに作風が大きく変貌していることなどを説明しました。

参加者からは「白秋については謡はよく知っているが、詩への興味も湧いてきた」「白秋は、詩として表現する言葉を見いだすため力を尽くしていたと感じた」などの感想が寄せられました。

次回の詩を楽しむ会にもぜひご参加ください。       (大塚政樹)



詩の朗読会No.15 聞いてください 岡山の現代詩
 児童生徒ら自作詩を力強く


 岡山県詩人協会は2022年11月19日、岡山市北区のピュアリティまきびで、「第20回おかやま県民文化祭」の一環として、詩の朗読会15「聞いてください岡山の現代詩」を開催しました。小中高校生11人と『岡山県詩集2021』参加の会員6人の計17人が朗読し、児童生徒の家族、詩人協会会員や一般の詩のファンら58人が堪能しました。
 岡山県文化振興課と県文化連盟から来賓を迎え、昨年に引き続き新型コロナウイルス感染症対策を施した上で開催しました。最初に中尾一郎会長が「声には色や匂いや重さがある。そして力がある。」という片山ユキヲのコミックス『花もて語れ』の中の言葉を紹介。「詩を作った時のことを思い浮かべて自作詩を朗読し、聞く人も作者の気持ちを朗読から汲み取ってほしい」と話しました。
 小中学生は岡山県内の詩の公募展で入賞した中から、各学年1人ずつ計9人を選抜したもので、大きな声で力強く丁寧に朗読しました。高校生は県立倉敷古城池高校の2人で、より大人に近づいた、感性に裏打ちされ洞察力に優れた詩を朗読しました。
 会員の朗読は前半後半各3人ずつ。自作を分かりやすく解説した上で、詩人ならではの味のある朗読を行いました。
 朗読の合間には、岡山市・操山公民館館長でアマチュア演奏家の原田公章氏が、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番を皮切りに、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」などの曲をチェロで演奏。来場者を魅了しました。
 朗読会終了後のアンケートでは、朗読、演奏とも大変好評で、感想には「また聞きたい」「面白かった」「詩の奥深さを知る機会になった」など多くの感動の声が寄せられました。                         (上岡弓人)


■長島愛生園と牛窓で文学散歩
 5年ぶりにやっと開催


 岡山県詩人協会は11月5日、瀬戸内市を訪ね、第4回文学散歩「長島愛生園と牛窓」を実施しました。新型コロナウイルス感染症で中止や延期が続き、5年ぶりの開催。会員ら20人が参加し、ハンセン病国立療養所・長島愛生園ではハンセン病や隔離政策について学び、牛窓では詩人高祖保の生まれた歴史的な港町風情を満喫しました。
長島愛生園は、わが国初の国立ハンセン病療養所として1930年にできました。旧事務本館を使った歴史館では、田村朋久学芸員の案内で、ハンセン病が皮膚と末梢神経が冒される感染症の一種だが、菌が見つかるまでは遺伝性の病気という間違った考えがあり、また顔や手足に後遺症が残ることによる偏見が生まれ、差別意識が根強く残ったとする説明を受けました。

  隔離政策の過ちを学ぶ
 隔離政策については、戦前は有効な治療法がないために行われましたが、戦後は薬で治療が可能になったにもかかわらず、「らい予防法」が出来て、一般国民の偏見や差別意識もあって政策が継続したことなどを聞きました。
 田村学芸員は「療養所の入所者は、既に完治している元患者で、ほかの障碍のある方々と何ら変わらない。偏見や差別を持たない社会にしていきましょう」と呼びかけ、みんな心から納得しました。
 参加者は愛生園の模型を見ながら、子どもの患者・元患者が通った学校があったことや畑の開墾をしていたこと、文学活動が盛んだったことなどを知りました。
 今回の文学散歩はハンセン病療養生活で文学に希望を見出した文学者をしのぶことが大きな目的でした。そこで、岡山から長島愛生園までのバスの中で、会員二人が愛生園を舞台に活躍した歌人明石海人や、バンド「青い鳥楽団」を率いた詩人近藤宏一、川柳作家辻村みつこらについて参加者に紹介しました。
 歴史館にはちょうど近藤宏一の遺品のハーモニカなどがありましたが、とりわけ目が不自由になった後、点字を舌読(ぜつどく)しながら作詞作曲していたことは、初めて知った人が大半で、その情熱と活動に改めて感動しました。
 歴史館見学の後は、園内に散在する史跡巡りをしました。患者が最初に長島に上陸した「収容桟橋」の跡では、家族との本当に悲しい永遠の別れが繰り返されたことを学びました。最初に検査や消毒などをする「収容所」ではホルマリンの消毒風呂に入ったこと、逃亡するなどした入所者が入れられた「監房」での悲惨な待遇などには本当に驚かされました。
 明石海人の石碑の前では、写真を撮り説明板に見入る参加者もいました。3000柱を超える遺骨が納められた丘の上の納骨堂では中尾会長が花を手向け、参加者全員で黙とうしました。

  高祖保生誕の街並み満喫
 牛窓では最初に、江戸時代に将軍交代の際に来日し、牛窓にも寄港した朝鮮通信使の展示がある海遊文化館を訪ね、港の歴史に触れました。続く街並み散歩では、協会員で牛窓在住の森崎昭生さんに案内していただき、通信使が宿泊した本蓮寺をはじめ、高祖保の生家跡、17世紀後半に築かれて沖を行く船の安全を見守った燈籠堂などを見て回りました。
 街並みには江戸や明治期の風情を残す建物が残り、穏やかな瀬戸内海の潮風にも吹かれ、森崎さんの案内を聞きながら散策を楽しみました。
 終了後のアンケートでは「楽しかった」「学芸員の説明が良かった」「バス内の説明が良かった」など好評。次回開催地候補では、足守、笠岡などが上がっていました。                                (柏原康弘)


   
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